「ブログ」って、忘れていた事を思い出させてくれるのですね!。nobulog-「インドネシア」を読ませて戴いて。

「インドネシア世界遺産巡りの旅」「プランパラン寺院」を読ませていただいている時、人生の荒波。すっかり忘れ去っていた事が、突然心の中に湧き上がって来ました。

 

確か茶色のフライトバック(神鳥、ガルーダのマーク入り)とウッドレリーフ。

いつの間にか消えてしまつた。その時期も全く思い出せません。

経緯で当時とても大切にしていた物の1つだったのですが。

 

もう半世紀以上前。

 

その時の人生の選択がインドネシアに関連(当時)する方を選択していれば、少なくと

も、現在の経済的困窮とは全く(?)縁のない人生を歩む事になっていたと思います。

 

私はその時のご厚意を自分なりの熟慮の末、感謝を感じながらも、ご遠慮させて戴きま

した。今もその時の判断に関し、後悔はしていません。

(家族に経済的苦労をかけている事を除けば。)

 

 

インドネシアと某大手商社

 

父の企業の倒産後、志望していた高校をあきらめ、仕方なく入った高校。学費も

払えず、朝夕の牛乳配達で何とか凌いでいた私の姿を見てくれていた友人の父母。

ある時、食事によばれ、突然の考えもしなかったご提案。

 

友人の御父上より、「私の会社に入りませんか!」時期は何時でもよい、高校卒の時、

或いは大学卒業後の御提案。全く考えてもいませんでした。

 

中央線の荻窪駅。戦前から住宅地として比較的広い敷地を有する家が多く友人の家も

私の家の斜め前。幼馴染でした。

また、倒産した父の本社が京橋にあり、偶然彼の御父上の企業も八丁堀から京橋に移転

した、関係もあり、特に身近に感じ、小学時代の頃は毎日一緒に遊んでいました。

(八丁掘から移転新築した当時、その壮麗な建物は内部の豪華さもあり、よく新聞に掲

載されていました。現在、某大企業の所有。)

 

父の倒産後、急速に基幹産業として日本の経済を牽引する存在となった業界を横目に、

正に赤貧の真っただ中、自分で企業を興そうと誓っていた私は、丁重に趣旨を話してご

遠慮させていただきました。経営者だけによく解ってくれ、その後より一層ご子息との

交流を望まれました。

彼は順調な人生を歩み、同じく父上が創設に拘わった大企業を定年退職。悠々自適。

折に触れ電話をくれ、「お前はいつも苦労するなー。ちょっと飲みに行こう」

と誘ってくれます。

 

 

対インドネシア800億円の戦後賠償(昭和25年初代スカルノ大統領)。船舶、トラツ

ク、軍事ジープ等の取り扱いで莫大な利益、八幡製鉄、富士製鉄系の鉄鋼商社。

1954年2大商社の1つと合併。

幼馴染のお父上は残念ながら、当商社との合併、役員就任を直前にお亡くなりになりま

した。

 

友人のお父上が1度インドネシアへ2人で行って来たら、と戴いた物が先ほどのガ

ルーダのフライトバックとウッドレリーフでした。

 

「nobulog」の壮麗な写真が思いもしなかった人生の貴重な思い出をよびおこしてく

れました。ありがとうございます。

 

 

不思議ですね、思い出した事が他にもあります。このブログを読ませていただかなかっ

たら、間違えなく忘れ去っていたでしょう。

 

 

今、大手町に新社屋を建設中の様ですが、後年、当商社の情報通信事業部の新規参入

分野のプロジェクトに参加させていただき、約1年。机もお手配いただき、週2日程、

旧社屋に通っていた時の話です。

 

11階トイレでの予期しない邂逅

 

ある日、トイレに入った際、なぜか視線が気になり、振り向いたとき、お互いにびっく

りして、顔を見あわせ合いました。なんと。お借りしていた住居の家主さんだったの

です。

 

所有していた不動産の全てを債務のために処分、住む家もなかった時、父が心労ですっ

かり体調を崩してしまい。どこか静かなところを探していました。

知人の一人が、知り合いで広い敷地の中に離れを持った方がいらっしゃるので、事情を

話してみようとのご厚意。

 

お陰様で数年間住まわせて頂きました。緑溢れる広い庭の一隅にある離れ。父は健康を

取り戻したようです。

 

トイレでの出会い。なんとその家主さんだったのです。

当初、お互い、相手がそこにいる理由がわかりませんでした。

家主さんは財務部門にいらっやいましたが、お借りするときもその後も、職業、勤務先

に関しての話はありませんでしたし。

その時初めて当商社で重責を担っていらっしゃる方と知りました。

 

私も零から始めた工業系の仕事に関して多少の事は話しましたが。無論お借り出来たの

は文無しの私の信用ではなく、紹介者との長年にわたる、信頼関係でしたから。

 

家主さんも、私が自社の事業部のプロジェクトに携わっていることいる事を知り大変喜

んでくれました。

 

その際、幼馴染の御父上との事を話しましたら、大変な逸材で当商社も重席で迎える

準備をしており、大変残念な事をした。とお話しされていました。

 

そして、君がその厚意の提案を受けていたら、今は当社鉄鋼部の社員になっていたんだ

ね。本当に奇遇だね。頑張ってください。と喜んでくれました。

 

 

nobulogさんのお陰で、失敗続きの人生にも拘わらず、こんな自分にも、その時々に親

身に応援してくれた方々がいらっしゃったこと改めてを思い出すと共に、感謝いたしま

した。

 

何としても再起しなければ。

 

「ありがとうございました。 nobulogさん」