健康への道標。毎日の小さな積み重ね、あきらめないで,これからも。

 

私のブログタイトル「100歳を目指し、希望を捨てず、毎日を明るく健やかに生き

る」

 今回、募集を見て瞬間思いました。タイトルににピッタリ。応募してみよう。

だが待てよ。改めて思い返すと、タイトルにふさわしい日々を送っているだろうか。

そもそも、このブログを始めた切っ掛けの1つは、自分の不甲斐なさが原因の,長い

経済的不遇に疲れ気味の自分を鼓舞しようと考えた事でした。はかどっていません。

 

後期高齢者と云う括りの中に強制的に入れられた結果、5年程仕事をさせて頂いてい

た機械メーカーを辞めざるを得ませんでした。その企業の定年は60歳。

とてもお世話になったところで、それは、むしろ当然の事。その年齢まで、事情を斟酌

して働かせて戴いた事を感謝しなくてはなりません。そこは2回目の転職先でした。

 

人生っていろいろな予期しない出会いがあるものですね。電車の中で偶然旧知のある方

に再会した事がこの2回目の就業への道を開いてくれました。

 

晩婚にも晩婚。還暦に近い年で初めて伴侶を得、弟、妹にそれぞれの孫が誕生した頃、

子供を授かるにも拘わらず、その大切な子供が幼稚園年少組の時に父に続き、私も事業

に挫折。

私が中3の時に味わった苦渋をより幼い子供に押し付ける結果となってしまいました。

 

多少込み合っていた車内で,躊躇はあったものの、経過で事実を話す結果となりました。

暫くして、電話あり。

「貴方の事は分かっているので、うちで働きませんか?」。「本体は規則上無理なので

取り敢えず出入り業者からの出向という形でいかがですか?」。

 

その方がまだ若い頃、私の企業のご担当者でしたが、かなりの時を経て重要な役割を担

う立場になっておられました。

その企業のお得意先製造現場に出張する国内外保守メンテナンス要員の管理業務。パソ

コンは出来なくても可,サブの女子を1名考えます。願ってもないご提案!

 

順調に人生を歩んで来た方々であれば、定年に至る年齢で、まさに「零」に陥入る。働

く場所。全くありません。年の話になると、順調に話が進んでいても、即座に拒否。

 

1回目の就業も、不思議でした。いろいろ奔走しましたが私の年齢、経歴では、同様。

途方に暮れていました。その時半世紀ほど前の、ある考えてもみなかった提案が窮状を

救ってくれました。

持つべきは友人です。大学に入学した幼馴染が、自動車部に入部し、その活動のため大

型免許に挑戦。

大学の施設内で練習するから、来ないか。費用は0でよい、お前も大変だろう。他の部

員は俺が説得するから、遠慮するな。何かあった時、役に立つだろうから。

 

大変役に立ちました。当時、定年に達した退職者の雇用は今ほどなかった時代。

運送会社の欠員代替要員として、その免許証のおかげで、24時間対応。関東周辺から

東北、北陸、中部、関西、中国、など対応し、なんとか生活を凌いで来ました。

 

企業経営していた時期。大企業を始めとして、生産工場がそろそろ、地方に進出、移転

を始めた頃。高速道路、新幹線もまだ在りませんでした。これが幸いでした。

独自に企画開発した製品。当時はまだ電話でアポが取れる時代でした。狙い定めて

売り込み。東京本社、工場で、担当先にたどり着きにくかった場合。次の手段。

地方工場にターゲット。当企業向けの企画書、積載出来るものであれば、サンプルを積

み込み。(GPS、ドラブレコーダー等まだありません)。地図を頼りに、とことこ。

近くの旅館(ビジネスホテルなどもまだありませんでした。)をベースとします。

翌日に備え、資料、説明ポイント等の再確認。日本酒かビール。明日にかける。熟睡。

翌日。守衛さん攻略でご挨拶。東京からわざわざ来たのか、とご担当部門に連絡を取っ

て頂く。当日むりであれば再度訪問。その間、周辺の生産工場を調査、次の目標企業。

首尾よく成約出来れば、納入までの間、何度も往復が必須。その間も飛込で新規営業先

開拓。納品当日、状況によっては営業部、技術部員、時には開発部隊も同行し、何台か

の車に分乗。

ある時など、予期しない大雪で予定の運送会社で、手配がつかない。や無負えず、平ボ

ディーをお借りし比較的大型の装置でしたので、クレーン搭載。自分が運転、なんとか

得意先の地方工場に納入。得意先は、この雪では受け入れは無理だろうと判断し、工程

変更の段取りをしている最中、大分遅れましたが到着。大変感激され、信用を確保。

これも.あの時、苦渋の現状を思いはかって、声を掛けてくれた幼馴染のおかげ。

 

この様に、道だけは詳しく。運送会社の人もビックリし、採用要因の1っでした。

 

しかし、70歳になる月に退職勧告。や無負えません。

さて。生活はどうする、蓄える余裕はなく、ぎりぎりの生活。子供と、家内がかわいそ

うです。

やむを得ず、繋ぎとして、2人のため、それなりに真剣に取り組んでいたトラックド

ラバーとしての仕事。自分の年齢も顧みず,少し甘く考えていました。当時は今ほど高齢

ドライバーが話題になる事はありませんでしたが。入社3年目、幸い無事故でしたが、

運送会社としての退職勧告、は当然の規約でした。  そんな時の電車内の偶然な再会、

そして全く予期しなかったご提案。

 

「健康第一」

この時、本当に思いました。健康でさえあれば。

私が初めて真剣に「健康」を意識した瞬間です。かつての得意先、偶然電車の中で再

会し、わざわざ混雑する車内で声をかけてくれた前述の社員に対する感謝。

 

運送会社で生活の糧を得ていた時。平日、休日、昼、夜、ナシ。24時間対応の出来高

払い。時間給も最低賃金、多少重労働。必ずしも良い条件ではありませんでした。

その中で、たった一つ。とても良いことがありました。

いつでも仕事の依頼に完全に、安全に対応する事が、生活のために必須でした。

アルコールを継続的に絶った事です。結果的に実質約3年間、全くの断酒でした。

 

企業経営の時代,どうしても酒席(?)の時間が多くなりがちでした。

対外的だけではなく、社内でも開発の打ち上げ、その他多かったと思います。

 

今,考えるとそれが、若い企業のある意味で活力となっていた事は事実でした。

年間の計画的な開発テーマとは別に、実態以上に得意先の要請に応える為の過剰

な受注をし、その慰安としてある意味打ち上げをしていたと、今は反省。

 

特に開発部門は、平行してテーマが走っている事が多く、若い社員達もそれを余り苦と

もせず、自分たちはまだ世の中にない物に取り組んでいると云う意識で頑張ってくれて

いました。技術部門含めて、皆、仮眠室での一時爆睡で、体調を維持しながら、納入ま

で取り組むと云う事がしばしばでした。それが今言われるブラックとはだれも考えても

おりませんでした。少し休んだら、と声を掛けても、ここががんばり時ですとの返事。

 

時には,まだCADなどがない時代、製図科出身の女子社員や事務部門の社員までが、帰

宅後、軽い料理を包み、お疲れさんですと差し入れを持参してくれたりしていました。

それに感謝するためもあり、完納後、社内でささやかな打ち上げを行う。時には得意先

が状況を確認にいらっしゃる機会を捉え、仮眠室をにわかに女子社員が自発的に整えて

くれ,客先技術や発注部門担当者の皆様を歓迎する準備をしてくれていました。

 

この様な中で、通常はセーブを心がけていましたが、自分から飲まないと、皆、遠慮す

るだろうと考え、乾杯。自然に数値が悪い方向に行く傾向になっていました。

 

 現在、過去の悪癖を正すため、いくつかの約束の励行を,自分に果たしています。

居住する、市の定期健康診断は必ず受診し、基準値との数値差は常にある時期から始め

た体調管理台帳に赤字記入します。私に出来る唯一の家族に対する責任感の現れです。

事業に失敗した時、生命保険すら解約しなければならなかったからです。

 

市販のB5ノート見開き2ページ。起床、就寝時間、血圧、食事の咀嚼度、排便、排尿

、体調特機事項、食事内容、飲酒、体温(週1度)、気分等を夫々記号、数値化記載

、月末に月間の総括と翌月の平均数値目標を記入します。生活上の特記事項もメモ。

 

階段があれば、体調測定、維持のチャンスとしてとらえ、原則エレベーター、エスカ

レーターは敬遠させていただきます。地下鉄の長いエスカレーターは軽登山と捉える。

乗り物は時間の余裕を作り、1駅手前で乗降。経済効果(笑い)もあります。

車は原則、重い物がある時だけ。多少の重さは自転車で。普段使わない筋肉の維持、増

進の機会と思い、心地よい風を受けながら喜んで漕ぐ。

目的地への往復。できれば幹線を避け、緑の環境をえらび、路傍の花をめで、精神的リ

ラックス。

 

現実は膵臓、糖代謝が区分「C」で経過観察。血圧少し高く、医師は薬を勧める。

次の検診目指し、食欲のセーブ(笑).も新たなテーマとして加へ,日々を送ります。

 

「100歳を目指し、希望を捨てず、毎日を明るく健やかに生きる」ために。

 

 後記。偶然にも森永牛乳の名。失意の高校3年間、牛乳と共に、当時は瓶入り、

カタ、カタと音を立てながら自転車を漕いでご家庭の木箱に1つずつ配つていた事

を思い出しました。今となっては、辛くはありましたが、良い思い出になりました。

生きて行く為の私の最初の仕事でしたが、どんな困難にもくじけさえしなければ

次のステップに進めるという貴重な体験をさせて頂きました。

「トリプルヨーグルト」。手にして、やさしく、暖かな感覚を受けました。

経過観察の数字の変化を楽しみにします。